物質を動かすためにはエネルギーが必要です。
生物が活動するにもエネルギーが必要で、生命が活動するためのエネルギーが生命エネルギーです。
ですが、現代科学には生命エネルギーという観念はありません。
それは、生命活動をマクロの視点で考える概念がないからです。
個々の活動を細かく分析することに特化した結果、マクロな視点で物事を解釈できないのが現代科学の欠点だと言えます。
現代科学は物質の循環を前提に考えていて、エネルギーの循環を踏まえていないように思います。
マクロの視点で解釈するには、エネルギーの循環のことを考慮に入れなければ全体像が見えません。
ただ、エネルギーの循環を考慮に入れてしまうと状況が複雑になり、ミクロの世界のような再現性(客観性)が得られにくくなります。
そうなると、エビデンス(科学的根拠)を示せなくなります。
現代科学においては、科学的根拠は真実を証明するために必要不可欠なものです。
ですので、再現性の得られにくい生命活動のような複雑系の現象は、再現性が得られやすい
ミクロの世界に特化する一因となっているように思います。
ただ、慢性疾患など外的環境による要因が深く係わっていることについては、ミクロの視点での解釈では、そのメカニズムを解明できても慢性疾患を生じさせる根本的な原因を追究することはできません。
なぜならば、ミクロの世界の現象に外からの要因を加えてしまうと再現性がなくなり科学的根拠を示すことができなくなるからです。
ミクロの世界で再現性を得ることができるのは、室温や湿度など外部環境を一定にすることができるからです。
ですが、現実の世界では外部環境を一定ではありませんので、外的要因を考慮に入れた時点で再現性がなくなるのです。
ですので、外部環境による原因によって体にどのような影響が与えられるのかを実証することができません。
いっこうに原因が分からないまま原因不明の難病が増えているのも、そのためです。
エネルギーの循環を踏まえて考えれば、多くの慢性疾患の治療法が確立するように思いますが、それを行うことができないという現実もあります。
指圧やあん摩(服を着たまま行うマッサージ)、鍼灸や漢方などの東洋医学は外的要因と内的要因を踏まえて構築されています。
これらの医学にはミクロの視点で人体を解釈していません。
なので、ミクロの視点での再現性は得られず自然科学で言われるようなエビデンスはありません。
再現性が得られないから科学的根拠がない、だからインチキだとか、プラセボ効果といって、「なぜ良くなるのか?」という追求を放棄しています。
(2024年12月23日追記:東洋医学はプラセボ効果など意識的要因を利用した治療法ではではないかと考えられる。)
その時点で、科学ではありません。
なぜならば、科学の真の目的は、「現実に起こっている現象を解明すること」だからです。
科学は、物事の真理を追究することであり、再現性を求めることではありません。
再現性は、真理を追究するための手段であり目的ではないのです。
ですが、再現性を求めることを目的となり、再現性を求めることが科学であるという認識によって真理の追究がなされていないのが現代医学の盲点なのかもしれません。
そもそも自然科学の客観性の定義については、20世紀前半に誕生した相対性理論や量子力学の時点で崩壊しているのです。
それまでの(古典)力学では、変化しない絶対的とされてきた時間と空間という概念が観察者の立ち位置によって変化してしまうという理論です。
ということは、誰が見ても聞いても同じであるという客観性は保証できないことになります。
皮肉なことに、現代医学の体系は19世紀までの物質主体の物理学や化学の概念が主体になっています。
そのため、20世紀以降のエネルギーの概念を取り込まれておらず、エネルギーの循環という概念がないのが現状です。
それに対して、二千年以上前に誕生した東洋医学はエネルギー循環をメインに考えられた医学なように思えます。
慢性疾患のように外的要因や内的要因が絡み合った状態に柔軟に対応しやすいのかもしれません。
ただ、器質的な現象について原因を追求されていないため、観念的になりがちです。
その点は、西洋医学のほうが優れています。
ですが、西洋医学にも東洋医学にも重力エネルギーの作用についての考慮が少ないように考えます。
これからは、物質の面からアプローチに加え、エネルギーの面(特に重力)を新たなアプローチで人の体を見ていくという概念が重要になると思うのです。