心と体は一つながりです。
気分が悪いときにポジティブになれない時もあれば、ポジティブな気分になったら体調が良くなることもあります。
このように、体の調子によって心の状態が変わったり、心の状態によって体調がかわったりするものです。
ですので、心と体が別物とは考えられません。
でも、「心と体」というように別々に分けて考えてしまうものです。
そのほうが、解釈しやすいことが多いからです。
ただ、分けて解釈することに無理が生じることもあります。
体の痛みなど、体に異常がないのに痛みを覚えることがあります。
そのような時、心に問題があることが多く、心の問題が解決することで不思議と痛みもなくなります。
そのように考えると、「心とは?」と思うのであります。
脳科学が発達して、心のことについても解明されてきていますが、まだまだ分からないことも多いそうです。
解剖学者の養老孟司著「唯脳論」(青土社)で、心は脳の機能といっています。
心に脳が深く関わっているという考えが現代の常識になっていると思いますが、はたしてそうなのでしょうか?
もちろん、脳に障害があるとその部分の機能が失われますので、脳が心に及ぼす影響は大きいのは確かです。
ですが、西原克成著「内臓が生みだす心」(NHKブックス)の中で引用された「記憶する心臓」(クレア・シルビアとウィリアム・ノヴァック著、飛田野裕子訳、角川書店)の中に臓器の移植をされた人が移植した人の記憶と性格まで移植されたという話があります。
もし、臓器にも心が宿っているとすると心が脳の働きだけに依存していないことになり、心とは「体によって作り出される何か」ということになります。
その「何か?」とは、何なのでしょうか?
心は、見えないけどその存在を認識することができます。
見たり、触れたりすることはできないということは、物質ではないと考えられます。
世の中には、見たり触れたりできなくても存在するものがあります。
それは、エネルギーです。
脳が働くことによって、そこにエネルギーが生じます。
そのエネルギーのことを意識と言います。
意識も心の一部ですので、心もエネルギーと考えても問題がなさそうです。
ただ、心が脳のみで起こっているという考えは早計だと思います。
それは、心の反応には思考だけでなく臓器の働きが関連しているからです。
例えば、緊張するような場面に遭遇した時、心臓がドキドキして、筋肉が緊張すると思いま
す。
そして、そのような場面を思い起こしたとき、思い出とともに心臓がドキドキし筋肉も緊張
します。
それは、緊張した場面の内容と一緒に心臓の拍動と筋肉の緊張が記憶されているからです。
過去の記憶の中に、そのほかの内臓の働きも同じように記憶されています。
それは、心情と自律神経の働きが深く関係しているからです。
そのように考えると、心が脳の働きだけではなく内臓の働きとも深く関わっており、その記憶が体全体に記憶させていることになります。
そのことは、東洋思想でもいわれています。
東洋思想の臓腑は西洋医学の臓器ではなく、臓器の働きや心情やその他の器官との関係性が含まれています。
それは臓腑を物質ではなく、臓腑によって作り出されるエネルギーと解釈できます。
臓腑によって作り出されるエネルギーの一つに心があると考えると、心が脳のみで作り出されるのではなく、体全体で作られるエネルギーと考えられます。
心へのアプローチに体からのアプローチが必要となるのは、そのためです。
このように考えると、心は脳だけで作られるのではなく、脳を中心とした内臓や筋肉とをつなぐ神経のネットワークによって作り出されるエネルギーだといえます。