気をコントロールすることの危険性

東洋の医学や東洋的身体動作などは、「気」を用いることが前提になっています。

 

それは、東洋医学の根底にある東洋思想では、万物の根本となるのが「気」と定義させているからです。

 

すので、前提となる「気」の概念がなければ、東洋医学も東洋的身体動作も語ることができません。

 

気を用いた身体動作の総称を「気功」と言います。

 

身体の動きに合わせて気を意識してコントロールする方法を導引術といい、古来から数多く

の流派があり、第2次世界大戦後、中国でそれらをまとめたものが「気功」です。

 

「気」とは、東洋思想の概念でこの世の根本のもの(物質?)と言われています。

 

このことを現代風に訳すと「気」とは、生命エネルギーのことだと考えられます。

(東洋思想では、生き物のほかに天と地にも気があると言われ、それらの法則を体系化したのが風水です。)

 

そして、人の持つ生命エネルギーを体の動きに合わせてコントロールして健康的な身体を作ろうとするのが、気功です。

 

気をコントロールすることで普段意識を向けない身体に意識を向けることができるのがメリットだと考えられます。

 

ですが、体を動かさない状態で気だけをコントロールしようとする時に大きな問題が生じます。

 

気功や禅、呼吸法を行うときにもっとも気を付けなければならないのが「偏差」です。

 

「偏差」とは、気をコントロールしようとする時に生じる身体や精神の異常のことです。

 

気のコントロールだけに意識を向けると頭痛、めまい、のぼせ、痛みなどの身体的症状や抑うつ、神経過敏、幻覚、幻聴、などを引き起こす恐れもあります。

 

その原因として、まず、身体が整えられていない状態で気をコントロールしようとすることが考えられます。

 

次に、気を意識しすぎることです。

 

気を意識することで、脳が過剰に働きます。

 

そうなると、脳に血液が集中してしまい内臓の働きが悪くなります。

 

脳の神経をコントロールするホルモンがあり、ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニンの3つが代表的です。

 

脳が過剰に使われることでドーパミンが過剰に出ると、それらのホルモンのバランスが崩れ、見えないものが見えたり聞こえたりする幻覚、幻聴、が生じ、それが偏差を起こす原因だと考えられます。

 

このように気のコントロールには、このような恐ろしい作用があるのです。

 

実際に、気功のどのようなワークが危険だと考えられるか?

偏差を防ぐためには

気功の中でもっとも危険と考えられるのが、体を動かさずに気だけをコントロールするワークです。

 

その中に、小周天というものがあります。

 

それは、身体の前面の中心線と骨盤底部の中心線、後面の中心線、頭頂の中心線上に「気」を回すようにするワークです。

 

その時、体を動かさずに気だけをコントロールしようとします。

 

あと、丹田に「気」を集める呼吸法などにも同じような危険性があります。

 

このように、意図的に「気」をコントロールしようとするワークは、とても危険です。

 

なぜかと言いますと、気だけを意識して動かそうとすると脳が過剰に働き、そのことで偏差が起こりやすくなるからです。

 

この偏差こそが、このブログで以前より危険性を訴えている催眠(変性意識)状態による悪影響です。

 

ただ、気功で偏差を起こさずに行える人もいますので気功自体が危険というわけではありません。

 

ですが、気を付けなければ心身に悪影響を及ぼす恐れもあり、安易に行うものではないことは確かです。

 

偏差を起こす人は気を意識的にコントロールしようとすると考えられます。

 

それに対して、偏差を起こさずに効果的に行っている人は気の流れを感じている人だと考えられます。

 

気の流れは、脱力して頭の力を抜けばだれにでも感じることができるようになります。

 

気とは、コントロールしようとするものではなく、感じるものなのです。

 

人には、動作をコントロールするための入力系意識と五感などを感じるための出力系意識があります。

 

入力系意識と出力系意識」についてはこちらを参考になさってください!

 

気の感覚は、気をコントロールする出力系意識ではなく、気を感じる入力系意識なのです。

 

なので、気功も気の動きを感じるように行えば危険性が少ないですが、体の動きを止めて気だけをコントロールしようとすると出力系意識が優位に働き、そのことで脳が過剰に働くため偏差をおこす危険性が高くなると考えられます。

 

気だけをコントロールしようとするワークは脳の働きに無理があるため、体にとって悪影響をもたらすばかりか、パフォーマンスも上げることができません。

 

気をコントロールして気を流そうとか、丹田に気を集めようとしなくても、体が動けば自然に気は流れますし、丹田に気を集めようとしなくても自然に丹田に気が集まります。

 

気が流れるのも、気が集まるのも、それは結果であり、それを感じる感覚の意識、入力系意識なのです。

 

そして、気をコントロールしないことで、かえって感覚が研ぎ澄まさせ、そのうえ内臓の働きも良くなるという好循環が生まれます。

 

このことから脱力クリエイトでは、意識的に気をコントロールしたり、丹田に意識を集めるようなワークは一切行っていません。

 

なぜならば、体のバランスを整える身体の動きに意識を向けることで自然に脱力して脳に負担をかけずに活性化することができ、内臓の働きも高まり、さらに動作の質も高めることができるからです。

 

自然の理に基づいた動作を行うことで、自然に気が満たされ気が巡る身体を作ることができると考えています。