日本語で「気」といえば、気が付く、気を取られる、気が向かない、など心理面を表すことが多いですが、古代中国の東洋思想でいう「気」とは心理面を表す言葉ではありません。
東洋思想では、世の中の根源(物質?)が「気」であると定義させています。
西洋由来の自然科学に慣れている現在では、受け入れがたい概念かもしれません。
なので、「気」の正体とは?という研究を行っても結局、正体を掴めないのが現実です。
「気」を西洋科学でそのまま当てはめようとすること自体に無理があります。
なぜならば、それらは思想を支える定義がまったく異なるからです。
西洋科学の歴史を紐解くと、古代では土、風、水、火の四つの物質から成り立っていると言っていたのが、時代を重ねるごとに分子が発見され、原子、素粒子の発見といった具合に「マクロの世界からミクロの世界へとその体系が移り変わった」という経緯があります。
それに対して東洋思想は、まず混沌とした中から「気」という根源(物質?)が生じ、天に陰陽、地に五行(木、火、土、金、水)の五つの物質が生まれ、陰陽と五行が作用しあってこの世の中が作られているという概念です。
世の中の根源を「気」と定義して、気が循環するさまを物事の理として考えたのが東洋思想なのです。
気には物質とエネルギーという二つの面があり、そのことを踏まえて考えなければ気の概念は理解できません。
西洋科学に親しんでいる我々は、物質とエネルギーを分けて考えがちです。
ですが、それは一九世紀までの自然科学の概念なのです。
二〇世紀に入ると光の正体は粒子(物質)であり波(エネルギー)であることが分かってきました。
その理論を構築したのが、相対性理論で有名な物理学者アルベルト・アインシュタイン博士です。
アインシュタイン博士はノーベル物理学賞を取っていますが、それは相対性理論ではありません。
光の正体についての論文「光量子仮説」(光電効果:太陽光発電の原理)でノーベル物理学を取っています。
この光量子仮説は、以後の物理学の主軸となる量子力学が誕生するきっかけとなった理論です。
量子力学では、光ばかりではなく、電子にも粒子と波の性質があると考えられ、それが、以後の素粒子の研究のきっかけになりました。
光の粒子である光子や電子も素粒子の一つと定義され、今ではさまざまな素粒子があると考えられています。
現在では、素粒子には物質とエネルギー体の二つの面があるという考えが一般的になっています。
先ほどのそして、東洋思想の「気」も物質でありエネルギーであると定義させたものです。
最先端の物理学で見出されたことと二〇〇〇年以上前の古代中国の東洋思想とに類似性があることに気が付き、そのことから東洋思想に傾倒した物理学者もいたと言われています。
物理学者のみならず、深層心理学で有名なユングも自身が描いた絵と東洋の曼陀羅とが類似していたのを発見し、そのことが集合的無意識(普遍的無意識)を発表したきっかけになったと言われています。
このように、東洋思想が20世紀の科学者に大きな影響を与えていたことは意外に知られていません。
ただ、いくら類似点があるからといっても東洋思想の概念を西洋科学で証明することはできません。
なぜならば、西洋科学と東洋思想とは根底となる概念が根本的に異なるからです。
ですが、東洋思想の概念を西洋科学の言葉に翻訳することはできると私は考えます。
そのためには、物質面でばかりで物事をとらえる従来の考え方ではなく、物質の循環にエネルギーの循環も考慮にいれる新しい概念を構築することが必要だと思うのです。