瞑想には、さまざまな効果があると言われ、マインドフルネスという形で一般的に知られるようになりました。
瞑想を行うことのメリットとして知られているのは、
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ストレス軽減
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集中力を高める
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感情をコントロールできるようになる
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熟睡できる
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記憶力が増す
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脳の灰白質を増やす
などの効果です。
ですが、普通の人は、瞑想を実践することは難しいと思います。
なぜかと言いますと、人にとってジーとし続けることが苦痛で、長時間瞑想を続けることなんてできないからです。
人も動物なので、体を動かすことが前提です。
なので、ジーとし続けられるようになっていません。
人が一番、精神的に楽なのが適度に動いている状態です。
では、横になれば楽なのでは?
と思うかもしれませんが、横になれば眠たくなるのが自然です。
人は、起きている時には動き、横になる時には寝るようにできています。
そこを我慢してジーと座り続けていると、いろんなことが思い出されたり、イメージが湧きでてしまいます。
この状態の時、浅い変性意識状態に陥っています。
大体の人は、その湧き出るイメージ(雑念)に意識が向き、囚われてしまい、意識を集中できません。
この状態って、とっても苦痛です。
なので、その場から離れて動きたくなる。
これが、普通の人の心理であり、行動です。
このように、人は基本的に変性意識状態を嫌います。
ですが、その苦痛を耐えられるように、さらに深い変性意識状態に入ると、不思議なことに苦痛が快感にすり変わってしまうのです。
さらに、瞑想を行い続けることで、どんどん深い変性意識状態に入ってしまいます。
ですが、熱心に行いすぎると多くの危険性が伴います。
その理由とは?
瞑想の危険性
瞑想には、
- 身体的不調
- 精神的不調
に陥る危険性があります。
身体的症状として
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頭痛など、体のあちこちが痛み出す
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呼吸困難
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胸の締め付けられる感覚
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冷や汗
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頭がボーッとなる
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感覚が過敏になる
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手足にしびれなど感覚の異常
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手足が異常に冷える
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のぼせ
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下痢
といった心身症(自律神経失調症)や
精神的症状として
- 幻覚
- 幻聴
- 妄想(被害妄想)
といった精神疾患(統合失調症)などです。
もともと瞑想は、宗教の修行の一つとして行われていたもので、瞑想を行う目的は、神とつながるためとも、悟りや解脱をめざすためとも言われております。
瞑想することで、意識の変容が起こり、催眠状態(意識が狭窄した変性意識状態)に陥ります。
このような意識状態になると、意識(顕在意識)の働きが弱まり、それに伴って脳の機能の多くを占める無意識(潜在意識)の働きが強くなることで脳の働きが活性化され、外界からの入力情報が多く取り込めるようになるなど、潜在能力が発揮されやすくなるため能力開発を目的とした自己啓発や心理セミナーなどで用いられます。
ですが、熱心に行いすぎると逆に、上に述べたような危険性が伴い、心身に悪影響をもたらします。
【参考記事】自己催眠の危険性
これらは、
- 座禅では「魔境」
- 気功では「偏差」
- ヨガ・瞑想では「クンダリーニー症候群」
などで知られており、麻薬や覚醒剤を服用した時の禁断症状に似ています。
ドーパミン過多による弊害
これらの症状は、ドーパミンが多量に放出されることによって生じます。
深い変性意識状態に陥るとドーパミンが過剰に放出されるのです。
変性意識状態が長く続くと、交感神経が強く働き、副交感神経の働きが弱くなり、自律神経のバランスが崩れます。
このことで、内臓の働きが弱くなり、不眠状態になり、新陳代謝が弱くなり、心身ともに疲弊します。(生命エネルギーが弱くなる状態)
しかし、ドーパミンが多く分泌された興奮状態ではそのことに気がつきません。
その振り返しで、ドーパミンからノルアドレナリンが作られ、不安や恐怖心が強くなり、攻撃的になります。
このような状態でも、心身ともに疲弊していることに気が付きません。
依存症の人が、「やってはいけない」と思っていても、その行為に手を出してしまうのは、その行為を行うことでドーパミンが分泌されて不安や恐怖を忘れ、心の平安を保てるからです。
それは、禁断症状をなくすために薬物をやめられないことと同じです。
実は、瞑想や気功、ヨガにもこのような麻薬や覚醒剤のような作用があります。
瞑想や気功、ヨガにハマっている人、あとスポーツにハマっている人も強い変性意識状態にあると言えます。
これらの行為は違法ではありませんが、ドーパミンがドバドバ分泌されることには変わりありません。
これらの行為を行なっている時には、辛いこと不快なことを忘れることができます。
これは、多量に分泌されるドーパミンによるものです。
ですが、その行為をし続けることで常にドーパミンが分泌されて辛いことや不快なことを思わずに済みます。
そのようにして、気分がハッピーであり続けることが良い状態だと勘違いをします。
しかし、そこに待っているのは自己の崩壊、社会との断絶、あと心身の疲弊と衰弱です。
瞑想には、このような危険性があるのです。