武術の技法をスポーツや仕事、日常生活に活用しようとする試みは、以前からありました。
それらは「気」という言葉を用いたものでした。
それが、「身体操作」という言葉が使われるようになり、武術の技などは身体操作を使った説明が主流になっているようです。
「身体操作」という言葉が知られ始めたのが、2000年代のはじめぐらいからだったと記憶しています。
そのきっかけになったのが、ベテランのプロ野球選手が古武術を習い、その年に好成績を上げたことでした。
このことが話題になり、古武術というものが知られるようになったと思います。
「武術の技をスポーツなどに活用しよう!」という試みが広まったのは、それ以降でしょう。
ただ、身体操作をスポーツや仕事などに活用することには、あまりおすすめできません。
その理由とは?
介護に武術系の技を使ったのを見た時の感想
これは、私が病院に勤めていた頃の話です。
その当時、勤めていた病院にはご高齢の方が多く、リハビリを行う際に車椅子へ移乗させることも多くありました。
ある患者さんのご家族の方とお話ししていると
「武術の技を使った介護の方法があるとテレビで言っていました」
とのことだったので、後日、私なりに調べてみました。
今のように手軽に情報を手に入れることのできない時代だったので、なかなか見つかリませんでした。
とある時、たまたまテレビをつけてたら、古武術の先生が身体操作を使った介護の方法を披露していました。
それを見て
- 全く使えないだろう
というのが当時、正直な感想でした。
確かに、その技法を使えば、介助する人は腰に負担がかからないかもしれません。
ですが、介護を受ける人の身体状況というものが全く無視されていたのです。
まあ、その古武術の先生に介護の経験などあるとは思えませんので当たり前ですが。
そう、この技法は、健常者(健康な方)限定の介助法だったのです。
見ていて、
- あっ、こんなことをやっていたら(肩を脱臼させるよ)
- おいおい(麻痺側だったらどうするの)
と思いながら、
- こんなものが広まったら大変なことになるよ
と思い見ていました。
幸い、広まることはありませんでしたが。
介助を行う際に大切になることは、介護を受ける人の身体の状態を考慮に入れて行うことです。
麻痺がある場合には、麻痺した手足をカバーしながら介助しなければいけません。
可動域に制限がある場合には、可動域を超えないように介助しなければなりません。
この身体操作の介助法で、もっとも「まずいな」と感じたのが、
- スッと起こしたり
- パッと動かしたり
する動作でした。
健常者でしたら素早く動かされても問題ありませんが、介護を必要とする人には体を動かられること自体に恐怖を感じます。
このような方に対して、素早い介助法は禁物です。
ただ、その当時から介護者の身体的負担については問題になっており、従来の介助法では身体特に腰に過大な負担がかかっていたのは事実です。(現在では、介助法も安全性が高く負担の少ないものに工夫されています。)
なので、新しい方法を考える必要があるようには感じていました。
ですが、武術の技を介護に取り入れるべきではない!とその映像を見て思ったのでした。
このような経緯から、身体操作他の技術に取り込もうと試みに対しての疑念が生まれました。
武術の技をスポーツに取り入れる是非
スポーツなどで一部取り上げられている「膝抜き」も2000年のはじめか中頃ぐらいから言われはじめたと記憶しています。
【関連記事】膝抜きという予備動作(武術系身体操作の罠)
これも、武術的な身体操作法の一つです。
基本的に「武術的身体操作をスポーツに活用することはできない」というのが私の見解です。
その理由は、武術とスポーツとでは運動の原理が異なるからです。
私自身、武術の技の中で合気上げは実際に受けたことがあるので知っていました。
ですが、それ以外の武術の動きを見る機会はほとんどありませんでした。
【関連記事】合気上げとの出会い(得られた気づき)
ですが、近年、インターネットの環境が良くなり、さまざまな分野の方がブログ記事を書いたり、動画を投稿したりして、異業種の方の情報を多く見れる時代になりました。
特に、コロナ禍で武術家の人が動画サイトで技を披露してくれるおかげで、武術の技を見る機会が増え、武術の技の身体動作の原理を知ることができました。
そうして、武術とスポーツとの運動原理の違いを確信しました。
武術の動きは右手が前なら右足を前にする動きをメインとした運動体系で、体当たりのように体ごと動かして力を出す動作です。
体ごと動かす力を利用することで、大きな力を得ることができます。
その力を利用することができれば、足を止めずに拳や蹴りを繰り出したり、投げたり、関節を極めたりすることができるようになります。
これは、スポーツの運動原理とは異なります。
(超一流の選手の中には武術の運動原理も織り交ぜている人もいます)
このような技術体系が構築されたのかと言いますと、武術では、多人数や武器を想定していると言われているからです。
このような状況で、攻撃の際に足が止まってしまうと、その瞬間を狙われ、致命傷を負ってしまうリスクがあります。
そのため、体ごと動かす力を利用して足を止めずに間合いを詰めたり、攻撃を加える「居着かない」動きを重要視すると言われています。
それに対して、スポーツで広く使われる動きは、右手が前なら左足が前にして体の捻りを利用する動きをメインにしています。
このような動作は、脚の力を腰に伝え、腕をしならせるような運動連鎖を用いて末端部分(手先や道具)を加速させることに適しています。
ですが、末端部分(手や道具)を加速させることに向かない武術の動きを取り入れようとしたらどうでしょう?
例えば、ゴルフで武術の動きを取り入れようとしても飛距離を伸ばすことはできません。
それどろこか、まともにボールをヒットすることすらできないでしょう。
武術の動きは、体を捻らずに体当たりをするような動きなのですから。
ゴルフでは、「スウェー」させてはいけないので、なおさらです。
(スウェーとは、バックスイングの際に体が右に流れてしまう動作のことです)
もっとも、体当たりの要領でスイングしようとする人はいないと思いますが。
ゴルフ以外の道具を使ってスイングする野球やテニス、卓球、バトミントンなどでも道具を加速させる必要があるので、体当たり的な体の使い方ではボールを飛ばすことができません。
あと、考えられるとしたら、サッカーやバスケットボールなどのコンタクトスポーツです。
これらのスポーツでしたら、武術の動きを活かせるかもしれませんが、どうでしょう?
もし、使おうとしたらフェイントは使えなくなると思います。
フェイントを利用して予備動作を作り、強い加速力を得ようとするからです。
特に「膝抜き」なんて使えないでしょう。
そもそも、実際のプレー中に身体操作なんて意識していたら、それこそ「思考の居着き」によって足が止まってしまい、その一瞬の隙に抜き去られてしまいかねません。
そうなってしまうと、相手の予備動作によって得られた強い加速力に追いつくことなどできません。
なので、安易にスポーツに武術の動きを取り入れようとするよりも、そのスポーツの動きの質を高めた方が効果的だと考えます。
武術系デモンストレーションのからくり
武術のデモンストレーションは、華麗でかっこよく見惚れてしまいます。
でも、これには理由があります。
武術のデモンストレーションは、攻撃する側と攻撃を受ける側とに分かれて行われます。
そして、行われる技も決まっており、攻撃を受ける側が攻撃する側を制するように行われます。
冷静に見れば、行われる技が決まっていているのですから、技の種類や繰り出すタイミングもお互い分かっているので、華麗に決めれられて不思議ではありません。
武術を習いたいと思う人に対してでしたら良いのかもしれません。
しかし、武術以外の仕事やスポーツなどに、武術もどきの技を用いてスポーツや仕事などに還元しようとしているデモンストレーションには注意が必要です。
そのような人に限ってスポーツの運動原理を見下して、武術の優位性を説くように説明します。
ですが、スポーツや仕事には、それぞれ適した運動原理があり、それらは武術の運動原理とは大きく異なるだけで、そこに優劣など存在しません。
もし、武術の術理が合理的に見えてしまうとしたら、「その状況下で起こりうることを想定したデモンストレーションにすぎない」ことに気がつかなければなりません。
スポーツを経験している人や仕事で、型通りに物事が起きることなど稀であることを知っているはずです。
ですが、鮮やかなデモンストレーションを見せられると、そのことをすっかり忘れてしまいます。
これこそ、デモンストレーションを利用した催眠なのです。
【関連記事】催眠とは(意識を狭窄する変性意識)
これは、このようなことです。
武術的なデモンストレーションの場合、あらかじめ攻め手と受け手を決め、それぞれの動きも決めておきます。
そうしてから、攻め手にその動き通りに動いてもらってから受け手を攻めていきます。
それを術者は、華麗に捌き、都合の良いように決めていきます。
いわば「こうされたら、こう動く」というあらかじめ状況を設定して行われます。
術者は華麗に決められるけれど、受講者はうまく決められないということになります。
そこで「やっぱり先生はすごい!」と言われます。
基本的に、状況設定が決められ、動きも決められていればできて当たり前です。
ですが、術者は受講者には難しく、術者にとっては簡単な塩梅(あんばい)の状況を作ります。
例えば、距離を縮めるとかタイミングを早くするとか。
そうなると、受講者にとっては難しくなります。
そうやって、受講者を信者化するのが、この手の集客法です。
【関連記事】武術のカラクリ(催眠という変性意識のトリック)
ただ、中には、えげつない方法を使って集客している人もいます。
これは、動画サイトで見た動画です。
そこでは、竹刀(袋竹刀)で打って来るのを避けるというデモンストレーションをしていました。
おそらく膝抜きのパフォーマンスでしょう。
ただ、それは、近い間合いで行われ、躱すのが困難な距離です。
ここで、受講者に竹刀を持たせて術者の腕を竹刀で打たせます。
それを見て、私は「なんで腕で竹刀を受けるのだろう?」と思いました。
そうして、数回ダメな例をあげてから、術者は受講者の竹刀を華麗にかわします。
次に、術者が竹刀を持ち、受講者に同じことを行ってもらうのですが、受講者は術者のようにうまくいきません。
ですが、これにはカラクリがあったのです。
まず、受講者に竹刀を数回打たせる。
このことが、このカラクリのミソだったのです。
人は、同じ動作を繰り返すと同じリズムで行おうとします。
なので、竹刀で同じところを何度も打つと、人は同じリズムで打ってしまいます。
このことで、術者は受講者の打ち込むタイミングを単調にすることができるため、躱すことが容易になります。
逆に、術者が竹刀で打つ時には、受講者が躱そうとするタイミングで、打つタイミングを変え、タイミングを測って動こうとした受講者に対して竹刀の軌道を変えて当てていました。
これが、このデモンストレーションのカラクリです。
正直、初見ではわかりませんでしたが、なんとも言えない違和感を覚えたので、そのシーンを何度も見直してはじめて気がついたぐらいです。
ただ、これは、受講者に「できるようになる」ための方法ではありません。
術者自身が「すごい人に見られたい」という承認欲求ために行っているに過ぎません。
この術者は、自分を上手く見せ、相手を下手に思うように状況を設定して催眠状態に持ち込むことが、とても上手いのです。
武術以外にも、この手のデモンストレーターは存在します。
【関連記事】身近に潜むマインドコントロールの罠
なので、くれぐれも気を付けなければなりません。
身体操作を取り入れるべきではない理由
もし、スポーツ選手が「武術的身体操作の技を参考にしたい」と思うのであれば、加齢による衰えがあるように思います。
スポーツの運動原理は、体幹を捻り手足など末端部を加速させる運動です。
それを実現させるためには、筋肉の弾力性が必要です。
それは、加齢とともに低下してしまいます。
それを何かで補いたいと思うのかもしれません。
確かに、スポーツでは20〜30歳ぐらいでピークに達してしまうのが現実です。
それに対して武術家には、40〜50代でもキレのある動きをしている人がいます。
「若い頃よりも今の方がキレがある」と言っている人もいるぐらいです。
だから「武術独特の身体操作があるからだ」と思ってしまうのかもしれません。
ですが、そうではありません。
それは、
- ストレス
が原因です。
人は、ストレスを抱えると身体の回復が遅くなります。
スポーツ選手は、強いプレッシャーの中でプレーしています。
それにスポーツは、相手は予測通りには動いてくれないのが当たり前なので、常に神経を張り巡らせてプレーしています。
その上、一試合ごとに評価され、良い成績を上げなれば使ってもらえません。
このような過度なストレスが常にかかることで、筋肉の緊張を高めてしまいます。
それに、肉体を酷使する身体的ストレスも加味されます。
精神的ストレスと肉体的ストレスによる身体のダメージが蓄積し、筋肉の弾力性が落ちます。
このことで、パフォーマンスが衰えてしまうのです。
それに対して、試合もない武術家は、強度なストレスに苛まれることは少ないと考えられます。
肉体的にも精神的にもストレスが少ないので、体を休めれば、しっかりと体が回復します。
そうすると、筋肉の弾力も悪くなりません。
これが、武術家が年齢を重ねても技のキレが良くなる大きな理由です。
スポーツにはスポーツの洗練された身体動作があります。
そこに武術的な身体操作という別の技術を取り込もうとすると、動作にバグを起こす恐れがあります。
そうなると逆効果です。
なので、安易に「身体操作」なんて取り入れるべきではありません。
それよりも、身体のメンテナンスを念入りに行うことの方が重要だと考えます。
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