徒歩通勤で身体軸を定着化することができたのは確かだ。
しかし、徒歩通勤で身体軸を認識したわけではない。
身体軸というものは、
- スポーツなどでは体軸
- クラッシックバレーなどではセンター
- 武道や武術などでは正中線
などと呼ばれ、武術などで知られている概念であった。
ただ、丹田よりは広く認知されてはいないだろう。
であるので、私も今から20数年前(1997年ぐらい)には知識としてあった。
だが、自分自身に身体軸の感覚が明確になったのは、十数年前(2009年ぐらい)である。
身体軸の感覚のきっかけになったのが、ある呼吸法である。
とは言っても、現在の大田式調整動作®︎では行っていない。
それには理由があるのだが、ここでは割愛させていただく。
その当時、ある出来事がきっかけによって、私は気の滞りを空間で感じるようになった。
当時、施術中に手の感覚で患者の気の滞りを感じられるようになっていた。
気の滞り、レイキヒーリングでは病腺と呼ばれるものらしいが、不調を抱える人には強い気の滞りがある。
この気の滞りを解消すれば、症状が緩和する。
そのため、気の滞りを感じることができれば施術の効果を上げやすくなる。
それまでは、掌でしか感じることのなかった感覚を空間で感じるようになった時には少し驚いてしまった。
精神疾患を患っている人の中に、突然「空間で気の滞りを感じてしまった」という人もおり、それがきっかけで「精神を病んだ」と言っていた。
私は、掌で感じていたので「あれ?」と思うだけで済んだが、この感覚が突然現れてしまったら、それは驚くだろう。
パニックになって、精神を病んでも仕方がない。
このような感覚があると言えば、統合失調症などと言われるだろう。
ただ、このような感覚は本来人間には誰にでも備わっている能力である。
しかし、そこで気の滞りに過敏になり、社会生活を円滑に送れなくなってしまったら精神が病んだことになる。
であるので、感じても過敏にならないようにすれば問題はない。
そうは言っても、空間で感じる気の滞りというものは、とても不快なものだ。
そこで、私は「呼吸法」を行えば、空間の気の滞りを解消(浄化)することができると考えた。
このことに根拠があったわけではない。
単なる直感だ。
しかし、単に呼吸法を行えば気の浄化ができるのか?と言われたらそうではなかった。
そこで、私が知り得るさまざまな呼吸を試みた。
その中で、もっとも有効だったのが「胸郭の呼吸」であった。
この呼吸は、息を吸う際に意識的に肋骨を広げる。
その時、身体は上へと引き伸ばされる。
この引き伸ばされた時の身体感覚を高めていくうちに自身の頭上に、ある感覚を得た。
感覚なので言葉で説明することが難しい。
ただ、胸郭の呼吸によってその感覚を得られると共にまわりの気の滞りが消失したのだ。
頭上にある感覚を掴んだ数ヶ月たった頃、高いビルの立ち並ぶ通りを歩いていた。
ビルをふと目にした時、自分自身の中に棒状?の感覚を覚えた。
そして、この感覚は地面と大空へと伸びていた。
この感覚を覚えた瞬間、体が軽くなり、楽に歩けるようになった。
今までに感じたことのない不思議な感覚だった。
それまでは、地面を足で蹴って歩いていた感覚がしたが、そうではない。
何かに体が引き上げられて、引っ張られているような感覚だった。
「もしかして、これが正中線なのかも知れない」
と思った。
これが、身体軸を初めて感じた出来事である。
胸郭の呼吸が身体軸を自覚させる直接的なきっかけであったかはわかりません。
でも、この感覚がなければ身体軸を自覚することはできなかったのかも知れません。
しかし、ここで述べた胸郭の呼吸法には問題点があることがわかり、大田式調整動作®︎では採用していません。
この問題点に気がついたことについて、後日書きたいと思います。