大田式調整動作は、脱力体を作るトレーニングですが、意識的に脱力を促すことはいたしません。
どういうことかというと、脱力を意識しなくても脱力できる身体を作るという意味です。
ただ、私も初めの頃は意図的に脱力を行っていました。
例えば、
- 戸を開ける時になるべく力が入らないようにする
とか、
- 地面を蹴って歩かない
など、日常生活における動作をいかに力みを消すようにして生活することを心がけていました。
しかし、それは誤りだったと気づいたため、現在ではそのような方法を採用していません。
そのように思った経緯について述べていきたいと思います。
私が脱力動作を心がけるようになったのは、脱力修練回顧録の記事にたびたび記載している藤平光一氏の著「氣の威力」を読んでからだ。
それまでは「力を入れれば入れるほど良い」と思っていた。
しかし、この著には「力を抜いた方が力を出しやすくなる」という不可思議なことを述べられたいた。
疑いながら実践してみると「確かにその通りだ」と感じた。
高校の時、テニス部に所属していたが、大学に入ってからは友達とたまにするぐらいだった。
その時に「なんかボール遅くなったな」とか「あれうまく打てない」などと感じながら行っていた。
だが「力を抜く」ことを知ってからテニスをしてみると「あれ、昔のように打てるようになった!いや、昔よりうまく打てるようになったんじゃないか!」と感じた。
今にしてみれば、力を抜くことを知らなかった当時は「昔のようにかっ飛ばそう」と余計なところに力が入り、力が集中するタイミングとラケットの芯(スィートスポット)にあっていないだけだったと思う。
このことから、力を抜くことで、タイミングよくラケットの芯を捉えやすくなったと考察できる。
私もこのような体験から「脱力が大切」だとは思っています。
しかし、このことが多くの誤解を生んでいます。
次回の記事では「脱力の誤解」について書いていきたいと思います。