前回の続きです。
今でこそ、脱力の大切さについて広く知られているようになりましたが、私が脱力について知った頃はそうではありませんでした。
そのため、「力を抜いて」とか「脱力して」などと指導する人も多くなっています。
しかし、多くの場合、脱力について誤解をして指導されているように感じます。
脱力することは大切ではある。
だが、これはあくまでも習得した動作についてのみである。
日常生活動作を行う際には脱力を心がけた方が良いだろう。
このような動作は、すでに脳に記憶されている、すなわち当たり前のように行っている動作でだからである。
ゆえに、脱力して行うことで動きを洗練させ、体にかかる負担を軽減でき、かつ精度を上げることができる。
しかし、慣れない動作、馴染みのない動作を行う際に「脱力しなさい」という指導ないしアドバイスは無意味である。
なぜならば、脳に記憶されていないからだ。
脱力動作とは、細い針目に糸を通すような動作である。
それが故に、慣れない動作では脱力できないのだ。
慣れない動作で、力みやすくなるのには理由がある。
それは、脳が動作のプログラムを構築している最中だからだ。
この時、脳からの出力が多くなる。
これは、その動作に関係しない神経や筋肉なども動いていることを意味している。
わかりやすく述べれば、暗闇の中を手探りで歩いているような状態である。
そのような時、人は全神経を集中させ、慎重に動かし、強い緊張を強いられる。
とても脱力などできるわけがない。
未知の領域を一つ一つ確かめながら歩もうとするのだから。
であるので、経験のない動作や仕事を覚えさせようとするのであれば大雑把に覚えさせ、徐々に細かいところを覚えてもらう。
大雑把が故に、余計な神経や筋肉も働かすことになるが、初めはそれで良しとする。
これは、物作りに例えられる。
物を作ろうとする時、最初から細部を気にして作ろうとすると遠くから見た時に歪(いびつ)になる。
そのため、まずは荒く削ったり、余分にくっつけたりするように大雑把に作り全体のバランスを整える。
そうしてから、徐々に細かいところを手直し、最後に微調整をして完成させる。
教える人間が慣れない動作に対して脱力を意識させるということは、細かいところの手直しをさせるようなものだ。
それでは、生徒の上達は望めない。
脱力の大切さを認識している指導者は、慣れない動作でも脱力を心がけようとしてしまう。
このことが、生徒の上達を妨げる要因となってしまう。
慣れない動作は力んで当たり前。
初めは力んでも動作を覚えてもらうことに注力する。
そうして、動作を覚えたら「脱力を心がける」と言いたくなるのだが、これは大きな罠だ。
「脱力」とは気づきであり、目的ではない。
動作を覚えたら、目的とするものに意識を向けるように指導する。
いつまでも動作に気をとらえてしまうのは悪手だ。
そうするうちに、動作を意識しなくても滑らかな動作を行えるようになる。
そうして、動作を繰り返すうちに身体感覚が鋭くなる。
そう、これが脱力した状態なのだ。
目的とするものに意識を向けながら動作を行うことで身体の感覚が研ぎ澄まされていきます。
身体感覚が鋭くなれば「力み」に対して敏感になります。
なので、意識的に脱力させて動作する必要などありません。
これが、脱力に関する誤解なのです。
次回の記事では「脱力と姿勢」について書いていきたいと思います。